わたしのLGBT〜Xジェンダー編〜

セクシュアルマイノリティ、通称LGBTのまことのXジェンダーを探す旅

セクシュアルマイノリティだとわかってよかったこと

じぶんがセクマイだとわかってよかったことは、セクシャリティを気にせず話せる相手がいると気づいたこと。


前カノの話も、現在好きな女性の話も、普通の会話として話すことができる。

ノンケさんが普通にする恋愛話と同じで、相手の性別なんて関係なくどんな人がタイプだとか、あの女性が可愛いとか、他愛もない会話を楽しめるのは、外ではまだまだ周りを気にしがちだ。

好みのタイプ=セックスみたいに無意識にセットで考える方もいるみたいだけれど、個人的には他人とのセックスにほぼ興味ないし、なんならセックスなしの恋愛は成り立つと思う。

そうでない方はもちろんいるし、とりあえずキスしたいとか触れたいとか思う方もいるかもしれない。
ただ、じぶんにはある程度理性や倫理観があるので、恋人以外とのそういう行為に抵抗がある。

一方的に好きな相手にどうこうしようとするのは、単なる犯罪だという認識だ。
もしそれを越えて行動を起こすなら、当たり前だが相手の了承を得るべきだ。
それには、セクマイもノンケも関係ない。

と、あえていろいろ語ってはみたが、よーく考えたらじぶんにも気安く相手に触れることがあったことに気がついた。

とうやらじぶんには、相手に対する好意の度合いで距離を縮める癖があるようだ。
これをいうと、じゃあ距離が遠い人は好意がないのか?という誤解を生みそうだが、ちょっと違う。

説明するのは難しいのだが、ふと気づくとかなり近い距離にいたり、髪に触れたり、腕を組んだり、が稀に生じる時、じぶんの中で相手が可愛く見えている。てことのようだ。

親愛に近い感じかな?

ちなみに恋人相手だと、距離はなくなる。
つまりべったりしてる。
だってくっついてると癒されるから。
マイナスイオンみたいのが出てるよね。
恋人さんからは。

さて、かなり深刻な話になるけれど、これまで様々なセクマイイベントで、わたしは本当にいろんな人に出逢って、いろんな人に救われてきた。

もうそこには感謝しかなくて、だからこの数年の間、じぶんにできることをさせていただいたつもり。

本当にありがとうございます。

人生ではじめての大恋愛と大失恋を経験させてもらったのも、いろいろあったけれど相手の方には心から感謝。

この数年間が、人生史上1番充実した時期だったのと、人生史上最高に幸せだったこと。

わたしは一生忘れない。

こんな事を云うのはなんだけれど、じぶんにとって、全てがその人の為だけに存在していたと云っても過言ではない相手に去られて、正直いまは生きる気力が湧かなくなってしまった。

これまでいろいろやってきたことも、いまではなんの意味も見出せなくなってしまったくらい、じぶんにはその人が全てだった。そんなことを、失ってから気づくあたり、じぶんの駄目さ加減が身に沁みてる。


初心にかえって。
じぶんがなんなのか?
じぶんは何をしたいのか?
セクシュアルマイノリティの前に、1人の人間として。
分岐点に立ち戻ってみることにした。

じぶんを殺すことにどんな意味があるかはわからない。
このまま干からびて、人知れず消えるだけかもしれない。
それでも、たったひとつ消えないことがある。

わたしは本当に心から、1人の人を愛したという気持ちだ。
この想いだけは、じぶんのなかで1番誇れる記憶になると思う。

最近巷で騒がれた、「同性愛は趣味みたいなもの」という発言に物申すなら、性別なんかで人への愛情を区別する程度の感情なら、確かに趣味といえるかも知れない。

愛とは、性別も人種も年齢も理由も超えた深いところに存在すると、わたしは思うから。