MARRIAGE FOR ALL JAPAN〜結婚の自由をすべての人に
2019年2月14日に全国一斉提訴された裁判
札幌での同性婚訴訟が、先月4月15日に第1回口頭弁論を迎えた。
同性との結婚…
考えたことがないわけではなかったけど、実際可能となるのはまだまだ先のことかと思っていた。
異性婚は当然のように存在したけれど、結婚について深く考えたこともなかったし、異性と結婚したいと思った記憶もない。
正直
結婚に夢を抱くほど、そこに幸せを見いだす理由がじぶんにはなかった。
でもそれが、はじめてわたしの中に生まれた時、じぶんが何であるのかわかった気がした。
生まれてはじめて札幌高等裁判所を訪れた。
入り口でセキュリティチェックを受ける。
財布とか鍵とかなんかいろいろ、見せるだけかと思ったら金属探知機やX線?とかもあって、そこでやっと、そこがどういう場所なのかということを実感した。
緊張感をまといつつ、傍聴のための整理券をもらいに別室へ案内される。
入場は最高57人までで、それ以上は抽選になると聞いた。
わりと先に着いたけど、あとからあとから人が増えていくのを見て、これは抽選になるか?と思っていた。
傍聴人は全員で53人にのぼった。
抽選にならなくてちょっとホッとした。
法廷は思った以上に広く見えた。
結婚て何のためにするんだろう?
わたしにはあまり、結婚についてのメリットが思いつかなかった。
漠然と、好きな者同士が家族として暮らしている。
そんな情景が浮かんで、ずっと一緒に老いるまで生きていく姿は想像できた。
でも、わたしにはそれが、現実味を伴わない。
じぶんが誰かと結婚し、家庭に入り、子供を授かり、パートナーと子供と平凡で忙しない毎日を過ごす。
現在一般的なロールモデル、それをじぶんに当てはめることができなかった。
口頭弁論が始まった。
原告の意見陳述に、法廷内は引き込まれるように静まり返った。
ゲイカップルの、互いを思いやる深い絆。
レズビアンカップルの、何気ない日常の中に潜む不安。
これが、世のヘテロカップルとどう違うのか、どこが結婚という制度の恩恵を受けられない理由になるのか?
この時、わたしはやっと、何のために結婚という選択肢が必要なのかを理解した。
この社会は、なにかと証明しなければ進まない事もある。
家族であること。
異性であっても、同性であっても、それは簡単なようで難しい。
けれど、結婚という制度があるおかげで、公に家族と認められその恩恵を受けられる。
今の日本では、同性にその権利は与えられていない。
同性との結婚に、偏見を持つ人はいる。
でも
家族になるという事に、性別の何が問題なんだろう?
父親と息子だって同性だ。
母親と娘もそうだ。
兄弟や姉妹だって。
一緒にご飯を食べて、一つ屋根の下に住んで、互いを支えながら生活する。
血の繋がりがなくても、年老いた親子だって家族には違いない。
そこに同性パートナーの家族がいて何が変わるというのか?
わたしは、人生でたった一度だけ、この人と結婚して家族になりたい、と思った事がある。
その時、結婚というものが何なのかを深く考えたりはしなかった。
ただ漠然と、心から愛する人と支え合って暮らせたら、それはとても幸せなことだろうと思った。
その人は、わたしと同じ女性として生まれてきた人だった。