わたしのLGBT〜Xジェンダー編〜

セクシュアルマイノリティ、通称LGBTのまことのXジェンダーを探す旅

Xジェンダーのフェムとボイ

現時点で、Xジェンダー談議に応じてくださった方の多くが、戸籍上女性であったのをふまえた上で、Xジェンダーはフェム系の(フェミニンなファッションを好む)方が少ない様に思われた。
いわゆるボイ系(ボーイッシュなファッションを好む)のXさんとの遭遇率が高いのは、たまたまなのかもしれないけれど、昔からスカートをはくのが嫌だったという話をよく聞く。
じぶんの場合、昔は辛うじてひとつくらい持っていた記憶はあっても、今ではすっかりその気も失せたので所持していない。
戸籍上男性であるXさんとの遭遇率は低い、こちらはフェム系の方が多い印象。
これも多分たまたまなのだろう。
なぜならXジェンダーといえば中性、両性、無性…つまりファッションはあくまで個人の好みというか、価値観の問題であるということ。
可愛くありたいか、カッコ良くありたいかというだけのことで、ジェンダー自体はあまり重要じゃないのでは?
某国では、男性が公式にスカートをはくところもあるくらいだし。
だから例えばシスジェンダーであっても、女性がズボンをはくように、男性がスカートをはくことを好んだとしても、それは不思議でもなければおかしいことでもなんでもない話だ。
この話は実は前振りなのだが、今回の談議で話題となる以前から、ボイ系はモテないという話を聞いた事があり、疑問を持っている。
あと、レズビアンはフェム系がモテる、といった話も聞く。
実際どうなのだろう?
とはいえ、好みのタイプとしてフェムやボイという選択はあっても、結局は相手の人間性に落ち着く…と思うので、モテる=恋人がいる、ではないだろう。あくまでこれは、個人の意見だけど。
ちなみにわたしは普段から、ボンヤリとしたファッションで通しているつもりなので、当事者間にあっては見る人によって、フェムにもボイにも見えるかも知れない。
そう云えば、フェムとボイの境界線はどこなのか、という話になったことがある。
ファッションの問題なのか、雰囲気の問題なのか。
ショートヘアでズボンをはいていても、フェムと感じる人はいるので、このあたりの判断はやはり人による。
このあたりの話を、もう少し掘り下げてXジェンダー会議の議題にしたい。

議題❶フェムがモテる、は本当か?

Xジェンダーという記号

これまでさんざん、Xジェンダーという言葉を多用してきた。

ここで一度お断りしておきたいのは、Xジェンダーはもちろんのこと、FTMMTF、そしてセクシャリティをあらわす言葉は単なる記号に過ぎないということ。

たしかに、カテゴリに当てはめられる事で安心感を持つことはあるし、じぶんが何者であるかを常に把握しておきたい心理はわたしの中にも存在する。

けれど、それは同時にじぶんを檻の中に縛りつけるようなもので、時に窮屈になり、時に自らの首を締めることにもなる。

なぜなら、ジェンダーセクシャリティというものはグラデーションであり、人によっては揺らぎを持つものだから。

じぶんはこういう人間だ、とその時は思っていても、後々何かのキッカケで思い直す人は多少なりともいる。

そのことに戸惑い、動揺してしまうかも知れない。

こうだと思っていたのに違った。どうしよう。じぶんは何なんだ?

でも落ち着いて考えれば、じぶんが何者であるかを確実に知ることは、誰にも出来ないのだとわかるはず。絶対はない。というか、絶対なんて云い切れないのだと、わたしは思う。

だからもし、じぶんはMTFFTMだと思っていたのに、どうもXジェンダーであるっぽいと思いなおしても、それが間違いだとは云えないし誰にもとがめられることでもない。

セクシャリティについても、レズビアンだと思っていたがバイセクシャルっぽい、Aセクシャルだと思っていたが違うっぽい(念のため、これはAセクを否定する意味ではない)と思いなおすことは可能性としてはある。

絶対はない、と云いながら、動かせないものもある。矛盾して聞こえるだろうけれど、それがじぶんの核であり土台だから仕方ない。

それを動かすことは、根本を壊すことで、一から再構築するということ。

つまり、それまでのじぶんを殺すこと。

生きたままそれを行うのは、想像するのも難しいくらい過酷で暴力的に思う。最悪心のバランスを崩してしまう。

そんな風にじぶんを追い詰める必要なんてあるのだろうか?

そこまでして手に入れるものとは、己にとってどんなに重要な意味を持つのだろう?

少々小難しく書いてしまったかもしれない。

要はカテゴリに縛られて、じぶんの本質を見失うのは本末転倒だと云いたい。

カテゴリはカテゴリであって、あくまで便宜上付けたタイトルでしかない。

わたしはXジェンダーでパンロマンティックデミセクシャルである。

こう記すと、なんとなくじぶんがどういった人間なのか、解った気になれる。

でもそれは、わたしが絶対にXジェンダーでパンロマンティックデミセクシャルでなければいけない、という意味ではない。

そこだけは、間違ってはいけない。

 

思えば、このblogを始めてから、Xジェンダーの方が割と多いなぁと、感じている今日この頃。

たまたまかもしれないけれど、わたしの全員Xジェンダー説(?)はあながち的外れでもないかもしれない。

Xとは不確定という意味。人間とは不確定で不安定であるもの。本当のじぶんを知りたいと思ったことがある人は、きっと世界にたくさんいる。

そんな気がする。

Xジェンダーのセクシャリティ

今回の談議の締めくくりは、Xジェンダーセクシャリティについてだった。

女性を自認する人が女性を好きになる事をレズビアン

男性を自認する人が男性を好きになる事をゲイ。

男性も女性も好きになる事をバイセクシャル

けれどXジェンダーの場合はなんと呼ぶのだろう?

その自認は中性であり、両性であり、無性。

自認が複数存在するなら、パンセクシャル

でも無性なら?

うん、もしかするとそこにも既に新しい呼び名が存在するのかも知れない。

考えれば考えるほど深みにハマるのがXジェンダー

じぶんってなかなか面白い存在だな。

ちょっとそんな風に思えてしまう。

ちなみにわたしは自らをパンセクシャル全性愛)と称している。

恋愛対象を性別に縛られないのが、パンセクシャル

男性も女性も中性も無性も両性もトランスも、みんなが恋愛対象。

この恋愛対象、ロマンティックと呼ぶらしい。つまりわたしはパンロマンティックであり、デミセクシャル。

デミセクシャルとは、これまた新しい用語で、強い結びつきを感じた相手にしか性的欲求を抱かないとかなんとか。

なぜじぶんをそう思うのかというと、当たり前と思う人は多いかもしれないけれど、つねにわたしは、好きな相手にしか性的欲求を感じないし、それを想像する事もしない。

不器用なだけかも知れない。でも、わたしにはただひとり、あなたがいてくれれば他に何もいらない。

あなたがいないのなら、わたしは永遠にノンセクシャルで生きていく。

 

Xジェンダーのない世界

世の中は、はっきりとはわからないかも知れないけれど、どんどん変わっていっている。

性同一性障害は性別違和に、セクシュアルマイノリティはSOGIに、新しい用語が溢れ、新しい解釈が定着しつつある。

もしかするとそのうち、それらは当事者よりも早く、当たり前のものとして人々の中に一般化するのかも知れない。

だったらきっと、遅かれ早かれXジェンダーのみならず、全てのジェンダーが当たり前の世の中になるのではないだろうか?

いや、そうなって欲しい。

先日談議してくださった方もおっしゃっていた。

わたしもそう思う。

セクシュアルマイノリティなどという、「少数派のあなたは特別枠ですよ」的な偏見は、無い方がいい。

特別でもなんでもなく、わたしたちはごく普通の人間で、ごく普通にみんなの中にいる、ごく普通に生きてる人なのだから。

それはセクシュアルマイノリティに限らず、なにかしらの障害だったり、病を抱えたひと達も同様。

みんなに優しい世の中になれば、いろんなひと達が生活しやすくなるし、じぶんだけが違うことで悩んだり、生きにくくなったり、結果不幸な選択をしなくてもいい。

Xジェンダーのない世界に、1日もはやくなればいいと願う。

わたしが生きているうちに叶わなくても、世の中が変わっていくのは確かだから、案外未来は明るそうだと考えるのは、楽観的過ぎるだろうか?

けれど、今までどれだけの方たちの努力が不可能を可能にしたかを鑑みれば明らかなこと。

世の中は変えられる。

みんなが生きやすい世界に。

わたしもその端くれになれるかはわからないけれど、何かできることがあったら嬉しいと思う。

 

この「Xジェンダーを探す旅」ブログでは、引き続きわたしと談議してくださるXジェンダーの方を募集しています。

わたしはそれほど熱心な勉強家ではないので(‼︎)堅い話ではなく世間話程度ですが、あなたのXジェンダー論を聞かせていただければ幸いです。

最近スカイプを導入したので、札幌市内にお住まいでなくとも、もちろん市内にお住まいであっても、気軽にお声をかけていただければと思います。

どうぞよろしくお願いします^ ^

 

 

Xジェンダーの定義

そもそもわたしが、Xジェンダーというカテゴリーに当てはまるのかはまらないのか?という疑問からはじまった、このXジェンダーを探す旅ブログ。

様々なXジェンダーの方の記事を読んで思ったのは、Xジェンダーとは果てしなく広義であるということだった。

これがXジェンダーだ!!

などという事ではなく、ちょっと乱暴な言い方をすれば、XとはMTFでもなくFTMでもないひと達のこと?

なぜなら、MTFFTMと断言する以上は、その自認は女性であり男性であるだろうから。

もちろん、身体も自認も女性であり男性であるシスジェンダーなら、それもまたXではない。

しかし自認とは、どうやら揺らぎとともに変わっていく可能性のあるもののようだ。

昔はこうだったけど、今はそうではない。

という人をたまに見かける。

そうなると、途端にXジェンダーに変わるMTFFTMもいる。そしてシスジェンダーも。

もう全員Xジェンダーでいいのじゃなかろうか?とさえ思う。

つまりそのくらい、Xジェンダーという定義はあってないようなものみたいだ。

Xジェンダーとは、自認が男性と女性どちらか一方のみを選べないひと達が逃げ込める唯一のシェルターみたいなもの。

だから、Xジェンダーは多様であり、自由であり、誰に咎められることもなく安心していられるアイデンティティといえるとわたしは思う。

今回のXジェンダー談議で得られた感想は、「Xジェンダーには定義がない」。このひとことに尽きる。

長い時間、わたしのわがままに快く耳を傾けてくれた友人に心から感謝申し上げる。

 

続まことはFTXである

じぶんがXジェンダーであると高々に宣言はしたものの、その実そんなことは案外どうでもよかったりする。

ありのままのじぶんでいられれば、それだけでいいかなと思っている。

けれど残念なことに…世の中には、他人の自認を否定したい人間も存在しており、それが身近な人や大切な人だったりすることがある。

なんの関係もない相手から否定されたとしても、互いに離れて仕舞えばそれはそれで済むかも知れない。けれどそれが大切な人だったり身近な存在なら、その衝撃は計り知れない。たとえどんな理由や偏見があるにせよ、一番理解して欲しい相手から否定される事がどんなに辛いことか、想像してみて欲しい。

じぶんを女性、あるいは男性のどちらにも自認できないことを、そう振る舞えないことを責められる。そうできないことを認めてもらえない。それは死にたくなるほどしんどい。

あなた(の身体)は女性だーー

だから女性らしくすべきだーー

それ以外の振る舞いはしてはいけないーー。

 

女性らしくないじぶんは受け入れてもらえない。

そもそも女性らしさとは、男性らしさとは、その定義はすでに過去の遺物になりつつあるのに。

ともかく素のじぶんがそうである以上は自身がそれを肯定しなければ生きていけない。

なのに少しも理解してもらえないのだとしたら、どれだけ相手を大切に思っていたとしても、一緒にいることは苦痛にしかならない。

そのことが発端でギクシャクしたり、ケンカになることも。

結果、大切な人と離れ離れになってしまう。

それがもし、どちらもセクシュアルマイノリティだったとしたら、同じXジェンダーだったとしたら、そのことで負う傷はきっと一生癒されないほど深く胸に残る。

だから、心を持った者同士が何かのキッカケで関わる機会があるのなら。どうか想像力を持って接してもらいたいと願う。

じぶんにも、そうして接しなければならないと言い聞かせたい。

これは決して他人事ではなく、ましてやセクシャリティだけの問題でもない。

性別、人種、様々なカテゴリーでの差別によって生まれるのは、不幸だけだ。

せっかく同じ星に生まれてきたのだから、違いを受け入れ楽しむくらいの心の豊かさがあれば良いなと、わたしは思う。

みんなが幸せになれる世界が望ましい。

だからこれからは、微力でも何かじぶんにできることをしていきたい。

みんなが幸せになれる世界を作る。

それはきっと、心あるわたし達にしかできないことだから。

まことはFTXである

FTXとは、Female to Xgenderの略らしい。

 

身体は女性で自認は中性、または無性という意味だ。

 

わたしが自らをXジェンダーだと思いはじめたのは、わりとつい最近のこと。

 

その理由の発端は、幼少の頃から無意識に抱いていた違和感。他人とどこか違うじぶんにようやく気がついたからだ。

 

あえて上げるとするなら、考え方が違った。価値観が違った。女性として見られるより男性として見られたかった。

 

あくまで主観としてだけど、一般的な女性のタイプとは、どうもズレがあった。

 

それでも、女性と男性のどちらかしかないと思いこんでいたから、女性でないなら男性になりたいと考えた時期もあった。

 

成人したらスリーピーススーツを作るのが夢だったし、ネクタイをする事に喜びを禁じ得なかった。

 

昔は男性が苦手だったけれど、年を重ねて改めると、それがじぶんの中の女性嫌悪だったのではと思い直した。

 

異性からも同性からも女性として見られる事に違和感を覚えていた。

 

まるで女性という皮を被って生活しているような、漠然とした感覚だったけれど。

 

当時名付けようのなかったその感覚は、いつどこから生まれたのかわからないけれど、もしかしたら母親に捨てられた経験からかも知れないし、父親から受けたモラハラが原因かもしれないし、幼少に遭遇した痴漢のせいかも知れない。

 

Xジェンダーとはこういうもの、という絶対的な定義があるとは云えないし、あくまで個人の受け取りかたでさまざまに認識されている、もしくは認識もされていないから、もしかすると本当はもっともっとXジェンダー(に属せるセクシャリティ)は存在するのかも知れない。

 

 以上のことから、わたしはじぶんを女性でもなく男性でもない、あるいはどちらとも認識されたくない中性のXジェンダーだと判断している。

 

身体はほぼ女性なので、見た目や仕草や振る舞いから女性としか見られないのは残念だけれど、じぶんはあくまでXジェンダーなのだと主張させてもらっている。

 

誰がなんと言おうと、これがわたし。

 

もしも女性か男性のどちらかハッキリとした自認でいられたなら、どれだけ楽だったかも知れない。

 

迷うことなくわたしはこうだ、と確信できるならそれに越したことはない。

 

でもそれができないから、セクシュアルマイノリティは生きにくい人が多いのだろうな。

 

そうでない人からは、せめて察してもらえたらと思う。