わたしのLGBT〜Xジェンダー編〜

セクシュアルマイノリティ、通称LGBTのまことのXジェンダーを探す旅

男でもない。女でもない。わたしという性別!

4月某日、YouTuberかずえちゃんの『僕らのカミングアウト』動画を撮影するため、朝から大通り公園へと足を運んだ。
天気は夕方にかけて曇りの予報だった。
大通りに着くと、眩しい陽射しの中で、いつもは動画で聴く優しい声と笑顔が、わたしを迎えてくれた。


今回撮影をしてもらえる事になり、じぶんなりにいろんな事を考えていたら、伝えたい事がたくさん浮かんで、いったい何から話せばいいのだろうと思うくらいだった。
なのにいざ言葉にしようとすると、うまく話す事ができない。頭を抱えた。

わたしが伝えたかったこと。

わかってほしかったこと。

まだ、完成した動画を見ていない今、きっと言葉の足りなかったわたしの話を一生懸命編集してくださったであろうかずえちゃんに、謝罪と、そして心からの感謝を。


男でもない。女でもない。私という性別!
https://youtu.be/SiYE8fSvbiU
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わたしは今でもじぶんをXジェンダーだと思っているしそう感じています。

そうしてじぶんを認められるようになれたのも、やはり札幌という広い街に出て、いろんな人に出逢ったからです。

昔からわたしは、やっぱりどこか変わった子供でした。
考え方や感じ方、女性として生まれ育てられたけれど、その整然と飾られた枠に、居心地の悪さと少しの劣等感を感じていました。

わたしらしくいる事が、社会で求められる女性のそれとかけ離れ過ぎていて、その事が少なからずアイデンティティを傷つけてくるのです。

おそらく、今の社会にそういった生きづらさを抱えている人は、性別に関わらず多数存在すると思います。
この社会は、もう今を生きる若者にとってはサイズの合わない服と同じです。

長い間、そのサイズの合わない服を着けなければ、人としても認められないような風潮の中で、周りからじぶんを異質であると認識させられ、無意識にもじぶんを肯定する事ができず、生きる気力も薄れてしまいました。

でも、今のわたしはその頃の萎縮した見識が間違っていることを知っています。
わたしという人間が女性として認められなくても、自らシス女性として生きられなくても、わたしはわたしであり、わたしらしくありのままで生きることは、当然の権利であること。
どんな個人の幸せも、国に保証だってされていること。
どんな服を着たって、どんな言葉を使ったって、どんな人を愛したって、愛さなくったって、それはその人自身の存在を、幸せを否定する要因であってはならないと。

だから、わたしは伝えたかったんです。
あなたはひとりじゃない。
互いを理解するのは容易ではなくても、寄り添ってくれる人が必ずいます。
あきらめないで、じぶんの殻を破って、自分の居場所を探して欲しい。

これだけのことを上手く言葉にできなくて、本当に心残りでした。
でもわたしは、かずえちゃんに大きなバトンを渡されたような気がしています。
そしてその事にとても感謝しているのです。



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撮影の翌日、自室でこの文章を綴りながら、つくづくじぶんが喋ることに向いていないと再認識した。

だからといって、文章も上手に書けているとは云えないけれど。

でも

話すことは嫌いではない。
むしろ好きな方だ。
ただ、考えをきちんと順序立てて、わかりやすく言葉にするのが苦手なのだ。

他人に言葉で何かを伝えることは、こんなにも大変なんだということを、今回の撮影で改めて実感させてもらった。

かずえちゃんは本当にすごい。