わたしのLGBT〜Xジェンダー編〜

セクシュアルマイノリティ、通称LGBTのまことのXジェンダーを探す旅

恋愛観から見るXジェンダー〜まことの場合〜

セクシュアルマイノリティとしての自覚を持つようになってから、まだ3年くらいしか経っていない。
Xジェンダーを自称するのも、ここ1年くらい。
そして、セクシュアルマイノリティ同士の恋愛事を経験したのも、つい最近の事。


実をいうと恋愛事じたい、あまり経験がない。
というか、興味がなかったので、パートナーは求めていなかったし、欲しいと思ったこともなかった。
まさに青天の霹靂。


ちなみに、好きな映画やドラマ、小説などのジャンルに恋愛が絡んだ物はほぼ無い。
かろうじて絡むとすれば、好きなBL作家の作品くらいだ。


どうやらわたしは、異性愛作品にはあまり魅力を感じない質らしい。

いつから恋愛に興味を持たなくなったのか、初めからなかったのかは、もう思い出せない。

逆に仲間同士のやりとりや絆のようなものの存在には、強い憧れがあった。

つまり、性的な関わりのない状況で繋がる関係だ。

昔から、男性に対してはそういった傾向にあり、女性に対しては少々フェミニスト気取りな部分があった。

今では中性(あるいは無性)として男性も女性も異性、という位置にじぶんはいるが、いまだシス男性にはほぼ無関心、シス女性には好意的といった偏りが見受けられる。



以前にも記したと思うけれど、Xジェンダーの場合、女性との恋愛と男性との恋愛が同性愛と異性愛のどちらに当てはまるのか?というのが今もって疑問だ。

中性(両性)だとするなら、男性も女性も同性で、無性なら異性になるのだろうか?
ならばどちらも異性と感じる今のじぶんは無性…ということになる。

しかし厳密に云えば、無性とは云い切れない部分もあり、やっぱり中性かな?という曖昧なところ。

一部のXジェンダーから見れば、わたしの様なタイプがXジェンダーを自称することに疑問を持つ方もいるかもしれないが、Xジェンダーとはあまりに広義すぎるのが難点で、そういう方々に理解してもらえるような解釈の説明はちょっとできないかもしれない。

ただ、Xジェンダーブロガーの礼司さんという方がいらして、その方の提唱するXジェンダーという在り方には心底同意したい。

この方の言葉はまんま、わたしの気持ちを代弁してくださっている上、わたし以上にわかりやすくお話されているので、これはもうこのブログではなく礼司さんのブログを推奨して然るべきと強く思う←

礼司さんのブログhttp://bokuiki-reiji.com

リンクに関してはご本人の同意をいただいた。心から感謝申し上げる。


先日偶然にも自称Xジェンダーの友人5人で飲みに行く機会に恵まれた。
Xジェンダーでも、体が女性で心は中性、そして性別でなんでも決めつけられる事に苦痛を強いられている派の集まりだ。

外見はというと女性よりであるため、一見してXジェンダーの集団であるとは気づかれない。

しかしその会話はセクマイそのものなので、隣の席の女性客はおそらく聞き耳を立てたかも知れない。

セクマイ同士、Xジェンダー同士の会話は気兼ねがなくて楽しかった。
それも男性(少々偏見的な表現だが肉体的な意味ではない)よりではないという、主観の相違に幅が少ないのが幸いした。

Xジェンダーにも様々あるけれど、やはり女性よりと男性よりではかなり意見が食い違う様に思う(絶対ともいいきれない)。

そのために、男性よりから見たXジェンダーの在り方と、女性よりから見たXジェンダーの在り方は、正直別ものと考えた方がいいのではないか?と思う事がある。

けれど実際は、体が女性の男性よりXジェンダーにも、女性気質な部分は大いにあるし、それを本人が気づいていないあるいは気づかないフリをしているだろう方もいらっしゃる。※体が男性の女性も然り

Xジェンダーとはかくも複雑。


近い未来、セクシャリティジェンダーによって分けられない時代が訪れるなら、きっとXジェンダーという枠組みも必要なくなり、それによる差別も偏見も霧散するだろう世の中を、わたしは心から待ち望んでいる。

そしてその時こそ、ありのままのじぶんを受け入れて欲しい。

中性であり、無性であり、性別なんかに縛られない、ただひとりの人間としてのわたしを一番に愛してもらいたい。

もしも願いが叶うなら…



最近の礼司さんのブログのおすすめ
『性別はどうでも良くなったから僕はセクシャリティ武装を手放す』
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